ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.19「神の不在感」(12/21追記)

神の不在感

今回は珍しくスピリチュアル色の強い記事です。

 

以前、私がひきこもりながらも「ミニ電車旅」を決行した際に、現地の神社を訪れてきたというような内容をnoteに書きました。

 

note記事の方では触れなかったのですが、実はこの間に一つだけ"大きく残念だったこと"がございます。

 

note.com

 

それは、訪れた神社で神の気配を感じられなかったことです。

 

私は日頃からスピリチュアル・オカルト方面の情報収集を趣味としています。個々の事柄についてはそこまで詳しくはないながら、この世界の神秘性を纏うもの、或いはそう認知されるもの全般に対し、畏敬の念を抱いております。それもあって尚更、訪れた先の神社で「あたかも神が不在である」ように体感されてしまったことは、私にとって残念な出来事でした。

 

日時の都合上で本当にご不在であられたのか、或いは私の感受性が鈍っているのか、はたまた私という人間が歓迎されていなかったか……等々、理由は幾つか見当が予想が付きます。

 

そんなわけで私は、「恐らく、今日はいらっしゃらないのだろう…」という感覚に浸りながら、お賽銭と共に「ありがとうございます」とだけ敬意を奉り、境内を回ることにしました。確かに神社特有の静謐な空気感を感じられはしたものの、印象としては本当にその域を出なかったのです。ほんの雰囲気の良い公園くらいなもので……。

 

私の経験上、神社といえば、いずれも神気が漂っているというのは常でありましたし、ちなみにその神社自体も以前に数回訪れたことがあり、その時にはもっと神々しい空気で満ちていた気がしていました。

 

結局その日は「神の不在の感」を脳裏に抱えたまま、トボトボと境内の林や記念物を一通り眺めてみては、仄かに虚しい気分に浸っておりました。そもそもが自身の体調が悪い時期だったということも、そんな風に感じられた根因だったのかも知れません。

 

しかし一方で、そこで引いた「おみくじ」の内容にはそこそこ良いことが書いてありましたし(病気が治る等)、神社に於ける「神の不在感」が虚しかったながらも、今日もこうして「私」という存在があり、この世界を認識できているという途方もない恩恵を想えば、外に外にと神を探すよりも以前に、我々各人の「内なる神」とはいかなる時も常在ではないかと、改めて敬服させられるに至りました。或いは、この日の一連の出来事はこの気づきの為に起きた体験だったのでしょうか。

 

また、生活の中で実在の「他者」と関わらせていただく内に、私は人々の中にある神性、仏性、霊性といった巨大の要素に気が付いて驚かされることが度々ございます。氷も蒸気も元を辿れば同じく「水」である構造と同じくして、人間というのもまた神の変化する一形態なのではないか?という風にも感じられる次第です。

 

万が一にも本当に、日本という国が芯から堕落してしまい、既存の神々も総じてこの地をお見捨てなることがあったとすれば、私は人々を通じて新しく世に顕れるであろう次代の神々と共に、この地を寿で埋め尽くすべく励む所存です。思考はそのように決着し、一人で納得していた奇妙なひきこもりでありました。

 

まとめると、この地球上の各地に御座す神々を尊重することは勿論のこと、分霊(わけみたま)として魂を賜る我々自身の存在についてもまた、最も近しい「神」として尊重しなければならない。此度は幸いにも、胸中に起きた「神の不在感」をきっかけとして、そんなことを思い出せられる機会となりました。

 

 

※追記(2023年12月21日)

この記事で言及した出来事について、スピリチュアルに詳しい知人から情報提供があったので加筆しておこうと思います。知人曰く「私が神社を訪れたのが、神々が出雲大社に集合されるためご不在である神無月の時期だったのではないか?」ということで、試しに参照してみたところ、本当に今年の神無月の時期と重なっておりました。

 

参考情報:2023年の神無月「11/13~12/12」

 

ちなみに私個人は修行の経験や霊感などは特になく、趣味としてスピリチュアルやオカルトをちょっと齧る程度のひきこもりです。或いは、ここ最近強く意識し実践している「健康」が霊的な認知能力さえも上げてくれるでしょうか?

 

今回の件は神様の気配は実はただの一般人でも感じ取れるという可能性が示された、面白い一例となりました。