ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.16「降り注ぐ宇宙」

降り注ぐ宇宙

不思議なもので、私は子供の頃から「暗い空間」に居る時に限ってはあまり疲れを感じませんでした。しかもこれが視覚的に暗くさえあれば良いらしく、さっと瞼を閉じて目の前を暗くするだけでも、その時間は疲労感が大幅に軽減されるのです。

 

小学生の時代には、体育の授業で持久走をさせられていたものです。

しかも私は、日頃からジュースとお菓子ばかり食べていた不摂生が祟ってか、小学生にしては体力が無い方でした。持久走では毎回順位が付けられていましたが、いずれの回でも最遅グループに属していたことを記憶しています。短距離走では平均よりもやや速いくらいだったのですが、持久戦はめっきりな少年でした。ついでに、集中力もありませんでした。これは何とも……(笑)

 

そんな苦役の持久走の最中。体力の限界を感じる度に、私は走りながら度々目を閉じておりました。今思うと、あれはだいぶ危なっかしい行為だったなと振り返られます。それでも、目を閉じて視界に"暗闇"を呼び出すことによって、酷使していた肺や横腹の痛みは消えて、錘(おもり)を巻いていたように重かった足も、まるで羽が生えたように軽くなるのです。目を閉じている限り、私はどこまでも身軽に走り続けられるような気さえしましたが、やはり小学生なりにも目を閉じての走行は危ない行為だと自覚はしていたようで、人や物に衝突したり、道路側に逸れて自動車に轢かれるのではないかと怖くなって、すぐに瞼を開けていたものです。それにしても、あの感覚は不思議なものでした……。

 

稀に催される地域のお祭りやイベントの際には、夜でも外遊びが出来る機会がありました。大人の特権に片足を踏み入れるような、子供にとっては最上に贅沢な時間に感じられていたものです。そういう時は大抵、自然に始まる同級生らの鬼ごっこに私も混ぜてもらっていたのですが、案の定というべきか、昼間よりもスイスイ走り回ることが出来ておりました。明るい昼間よりも明らかに、私は鬼ごっこが強くなっていたのです。では他の生徒たちも皆そうかと言われると、どうも皆は昼間通りのスタミナのようで、私だけが得をしているように感じられていたので、妙な話です。

 

これらは何か特殊の条件が重なって私に起きていた錯覚なのか、それとも自分で気付いていないだけで実は「夜行性の生物」だったのか、はたまたスピリチュアルで言われるような「宇宙エネルギー」を夜空から受け取る性質なのか、一体どれなのか気になります。

 

ちなみに成人後も、夜間に外に出る際は昼間よりも体に活力が湧いてくる感覚が起きます。健康的には「散歩は日中である」という印象を持っているため、夜はほとんど出歩きませんが、稀に気まぐれで夜の散歩を決行することもあります。するとやはり、やけに心が晴れやかで、体も伸び伸びと動くような感覚が起きてくるのです。

 

ようやく街に降りてきてくれた宇宙の暗黒を胸一杯に吸い込んで、遠目には夜景や星々の高級な光の装飾。この程よい明度であれば、邪悪な深海魚は活き活きとヒレを広げて、何処までも果てしなく泳いでゆけそうな心地がします。あらゆる悲観も憂鬱も、遮るほど分厚い光の壁はなく、いずれも最後まで突き抜けて行きますので、宇宙を一周してまた我が心の発信源まで帰って参ります。すると今度は驚くほど爽やかな香気を帯びて、単に忌まれるべき悲観や憂鬱だったかつての姿も懐かしいほどに、それは心を癒す透明な清水(せいすい)と化しているのです。

 

「夜」や「暗闇」について、似たような感覚に覚えのあるとう方がいらっしゃいましたら、是非、体験談をお聞かせいただけると嬉しいです。「案の定、ホロ9は妖怪の類だった」というオチだけは何としてでも回避しなければなりません。