ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.20「正月に弱いひきこもり」

正月に弱いひきこもり

いつ頃からか、私は正月特有の浮付いた空気感が全体的に苦手です。
 
初日の出、初売り、初詣。
各企業やメディアは何かと「初〇〇」と銘打って賑わすきらいがありますが、それらを傍目に私は高揚感よりも億劫さの方が遥かに勝るわけです。
 

それは私が日陰者であることも大きな原因の一つかも知れませんが、元を辿れば現代の情報過多がいけないのだと思います。

 

昔はきっと今ほど情報が流通しておらず、電子機器なども無かった筈です。世を賑わすニュースなんかもそんなに連日飛び込んでは来ませんし、一般人の手に届く娯楽は限られていたわけで、私のような日陰者にも「初〇〇」は貴重な刺激として心から楽しめたことでしょう。

 
ところが情報技術の隆盛極まる現代では、年末年始などはもはや名ばかりの口実に成り下がり、実際には365日の日夜を問わず、メディアを通じてそこかしこがてんやわんやのお祭り騒ぎで明け暮れているような有様です。むしろ正月よりも、何でもない日の情報社会の八衢(やちまた)の方がよっぽど騒がしいくらいではないでしょうか。
 
そういうわけで、ただでさえ日々「情報」という名の餅でおなか一杯に膨れ上がっているところに、正月の特別感をもって更に色とりどりの餅が、視界を覆い尽くす絢爛の紙吹雪と共に振舞われるわけで、平凡な消化能力の人間からしてみれば堪ったものではありません。
 
それに、晦日だの正月だのと言いますが、常日頃からか弱い生命力を精一杯に点灯させて、絶体絶命の危機をスレスレのところで回避しながら、身近に起きる小さな幸運や、人様からのご厚意を噛み締めつつ全力で生きているひきこもりにしてみれば、いずれの催事にも該当しない平日でさえ、どれも漏れなく特別な一日なのです。
 
しかし個人的な心境がそうだとはいえども、人が一年の節目を祝う心は大変に素晴らしいものだと存じております。あらゆる死の可能性から華麗に身を躱し、生きて新しい一年を迎えられたことのこの上ないおめでたさもわかります。
 
やはり根本的な問題は、そんな晴れやかな空気さえも何だか億劫に感じさせてしまう、病的なまでに情報過多、物量過多に陥った現代社会の在り方なのでしょう。人々が心から催事を喜び、「初〇〇」と改まって行動を楽しめる、心豊かな日本がこの先実現することを願ってやみません。
 
新年早々反骨心に満ちた投稿になってしまいましたが、私のように今一つ「正月の浮付いた空気」に乗れない同志たちの憩いになれれば幸いです。
 
私個人としましては、引き続き「触れているだけで健康になる」「触れているだけで人間の能力を取り戻せる」発信を目指し、様々な表現を練習してゆくつもりなので、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。