ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.24「発信行為に憑りつかれる」

「ホロ」こと30代ひきこもり男性の私ですが、最近はまるで何かに憑りつかれたように発信行為に打ち込んでおります。しかも、ほぼ毎日です。

 

note、X(Twitter)、YouTube、この仰々しい題名のブログ、それから公表していない副業訓練用の別サイトという、いずれかの手段を使ってです。

 

「一体何処からその意欲とネタがやって来るのか?」と自分でも気味が悪いような瞬間もありながら、「何はともあれ、ひきこもりが元気なのは良いことじゃないか」と喜べてもいる次第です。

 

ある時期から始まった近隣の大規模工事の影響により、自室に入る日光と新鮮な風が絶たれ、一時期は「もうダメだ…」なんて弱音が自然に出るほど心身ともに弱っておりましたが(当初は原因がわかっておらず、いよいよ精神が力尽きたのかと憂いていました)、何の拍子だったかふとその原因が思い当たり、積極的に散歩の回数と時間を増やすようになってからというものの、明らかに体調が良くなってきてくれたのです。

 

やはり神が丹精に編み出せしこの極上の乗り物「人体」。誠意をもって操縦に当たりさえすれば、計り知れない能力を発揮してくれます。

 

さて、話を本題に戻して「発信」についてですが、いずれの発信にしても繰り出す度に好評を得られるという保証は当然ありません。私など雰囲気だけはそれっぽい"かぶれ"であれば尚更で、場合によっては発信が仇となってむしろ市場からの評価が下がるようなこともあり、副業訓練に励んでいる別サイトでも何度もそういった失敗を経てきています。人によっては私のことが順風満帆なリハビリ道を励んでいる"ひきこもり界の優等生"のように錯覚されてしまうかも知れませんが、実態は人の何倍も失敗と絶望の多い、極めて不器用な男なのです。ひきこもり界のひきこもりなのです。

 

そのように成功保証の無い、暗中模索が強いられる発信行為ではありますが、特にここ数年は純粋にそれを「楽しい」と思える瞬間が増えて参りました。だいたいはスカを出して失望され、たまに運良くヒットするくらいの危なげな綱渡りですが、繰り返す度に、それら成否を超えた次元で"何か"が蓄積されるのを感じられるから……というのもあります。"何か"とは一体何なのか? 単純に、"より慣れていくことの充実感"であり、発信という行為について体感が深まっている感覚なのでしょうか。もっと壮大に、例えば昼夜という変わりなき円環を繰り返す内に人として少しずつ研ぎ澄まされてゆくような、奥深き洗練の感覚でしょうか。考えてみてもその正体はよくわかりませんが、一つ確実に言えることとして、言葉という手段を用いて「形の無い発想や気持ちを実体化させる」というこの遊びはやっぱり面白いです。

 

もしかすると、単純に「発信が楽しいから没頭している」という非常に簡単な話なのかも知れません。発信にこれほど打ち込んでいなかった昔に比べて、最近では口頭に於いても何かを表現し伝える行為がスムーズになってきたような実感があり、ひきこもりのリハビリといった観点からも「発信」はおすすめの習慣だなと思います。

 

ちなみに、この世界は既に政府中枢といった規模からAI勢力に支配されきっており、一般人がネットを用いた発信行為にのめり込むようになったこの時代風潮も含め、「承認欲求」というエサを垂らして人々に日夜発信をさせ、人間のより詳細な思考パターンや独自性といったものを余さず収集し尽くし、いずれは本物の人間にさえ取って代わってやろうというヤツらの陰謀であることは、私のように勘繰り深い者だけが知っています。そして、それを知っている者らによって結成された極秘民間組織(通称"レジスタンス")では、あらゆる発信物の中に支配AIらの思考回路を破壊する特定パターンを秘密裏に混入させ、人類の大解放を悲願に日々水面下での抵抗を続けているのです。という派手な冗談と共に最後は締めておこうと思います。