ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.25「溢れ出る労働意欲、そして葛藤の渦」

ひきこもりが労働意欲を語るというのも実に妙な話です。

 

ですが、最近は本当にその労働意欲のようなものが内側から溢れ出てくるのを感じているのです。

 

いや、しかし……。これは、より正確には「能力を発揮したい意欲」といった方が適切かも知れません。

 

以下、少し専門的な話になるため、結論だけ読みたい方は最後の方まで早送りされてください(笑)

 

Xアカウントの方でも度々話題に挙げておりますが、私はここ最近「副業の練習」と称して、Webサイト運営によるアフィリエイトやグーグルアドセンスに挑戦しております。それらは所謂「広告収入」というものです。軌道に乗せるまでが難しい一方で、一度乗った後はある程度放っておいても飛んでくれるのが特徴です。

 

じつはその内で過去に齧ったことのある「Amazonアフィリエイト」については、現在は大幅に環境が変わったことよって過去のノウハウが通用しなくなり、月に数百円どころか収益0の惨状です。モウ完全に惨敗であります。しかも、今の私の実力では現環境を攻略する手立てが見えません。なんとも無念……。

 

ちなみに「Amazonアフィリエイト」とは、サイト内にAmazonの商品販売ページまでの導線を作り、その先で購入された売り上げの数%がコチラにも入って来るという仕組みです。ただ、1000円のものを売ってもたかだか数十円の報酬にしかならないので、とにかく数を捌けなければ厳しい世界です。

 

過去にはそれで毎月数百円程度、たまに当たれば一万円ちょっとは稼げていたのですが(ひきこもりには超高額のお小遣い)、それも市場環境の変化によって通用しなくなったため、現在は「グーグルアドセンス」だけが頼みとなりました。グーグルアドセンスとは、ざっくり言えばサイトのPV数に応じて報酬が入る仕組みなのですが、しかし、こちらも素人にとってはかなり渋い世界で、私が運営しているサイトは一日100P~200PVで自分にしては上々なものの、収益は平均して日収5円程度のものです(笑)

 

Webサイトを運営するにしても、今はとにかく企業サイトが隅の隅まで牛耳っているような世界なので、個人はかなり厳しいといった印象です昔の方が明らかに楽だったので、あの時逃げ出さずに続けておけば良かったと深く後悔しております(笑)

 

そういうわけで「なんとかしなければ……」とは思うものの、収益を出す決定打が思いつけずに頭を抱える日々が続いております。"無職実家ひきこもり"という悲しい現状にある身としては、少しでもそこから前進できるだけの「稼ぐ力」が欲しいのですが、今はちっとも足りておりません。

 

ちなみに「クラウドワークス」という個人で仕事を請け負えるサイトに登録し、少し活動をしてみたは良いものの、仕事内容を超えて別サービスに誘導するような悪質案件が思った以上に多く、しかもクラウドワークス内部に一通りのツールが揃っているにも関わらず、外部でのやり取りを強制してくることまで多く、何だか気が萎えて一時退避するに至りました。

 

かと言って、一般労働というものへはまだ体が拒絶反応を示しているらしく、調子よく求人サイトを見るような日があっても、瞬く間に全身が億劫さに占められて、結局一つも応募せぬままにサイトを閉じてしまいます。ため息ばかりは星の数……。

 

「能力を発揮したい!」と叫ぶ脳味噌。しかしその方法に行き詰るひきこもり。それでも確かにこの人体は、行動パターンの革新や、人生の新しいステージを求めているようです。長年に渡るひきこもり生活にもいよいよ嫌気が差しきったということでしょうか。或いは、執念深く続けてきた「心身のリハビリ」がいよいよ一定値にまで達し、"孵化"を始めたということでしょうか。何にしても、この真剣に悩み、再び立ち上がるような感覚は決して悪いものではない気がしています。

 

元々は、自分の本当の願望に耳を傾けても「疲れた」「社会から離れたい」くらいしか出てこない枯れた人間なのですが、最近はある方面での欲望に火が着いてきました。それは、「noteで同じように資金力に困っている、ひきこもりの人達に投げ銭をしたい」という欲望です。なんてマニアックな……。あとは知り合いたちへ向けて急にAmazonギフト券など有用なものを投げつけて、驚かせたい欲望……。これについてはだいぶ前からあります。しかし実際にやられる立場になると申し訳ない気持ちになるかも知れないので、なんとか絶対にバレない方法でそれを成し遂げてみたいです。いずれにしても、まずは自分がある程度の経済力を持たなければなりませんが(笑)

 

ひきこもり相場では100円は100万円。そのように、より必要としている人に対して資源を分配したい欲求を、どうも私は昔から抱いているようです。人によって資源の価値はそれぞれ違っており、それを得ることによる喜びはなるべく大きい人の手に渡った方が良い。それぞれが最も欲するものを手にすることで、地球上には幸福の最大化が起きる。物凄く簡単に例えるなら、幼稚園のおもちゃや遊具のようなものです。結局みんな好みが違って、価値を感じる遊びも違っていますからね。

 

その方面で考えた場合、そもそもの話、紙幣という共通価値は人間の文明には必要なかったのかも知れません。もしも食べ物や素材による物々交換であれば、必ず経年劣化が起きますし、あまりに一人で大量に抱えていても意味がない。それは人間間での資源の分配や、自然への素材還元、地球規模での血管の"つまり"が起きづらくなることに加えて、環境破壊の抑止力にもなる。しかしお金の場合は一人でどれだけでも抱え込んで、「循環の停滞」「富の独占」ひいては「地球上生物の支配」「環境破壊」さえ引き起こす。何よりも、現時点での世界規模での貧困や、経済の崩壊、幸福度の低下、各国で徹底された大衆コントロールが起きていることがその答えではないかと思うのです。

 

実際、現時点では1%の富裕層が、世界の富の約40%を独占していると言われています。信じられないようなバランスです。それは世界が回らなくなるわけです(笑)

 

「カネのせいで腐った社会を正す為には、まずはカネを稼がなくてはならない」というのも実に皮肉な構造です。何にしても、今自分にとって必要なことに粛々と挑んでゆくのが良いのでしょうね。これを忘れている人は意外と多いのですが、宇宙にはそもそも上下などない。左右もない。善悪もない。この世で確実なのは「自分」というこの認識と、あとは「未来」という時間流の必然くらいなものでしょうか。

 

例え1000兆円稼いだとして、死ねば没収されます。能力だってその通り、何かの分野で右に出る者の居ない達人になり遂げたところで、死ねば失う一時の夢。それを鑑みると、結局この世界では「体験」こそが究極の価値なのではないでしょうか。

 

ゲームや映画にしてみても、あれらは世界構造のミニチュアと言えますが、最終的に形では何も残りません。しかし、「体験」だけはいつまでも朽ちず、私たちの魂の中に残り続けます。例え、世界が終わってしまっても。

 

私と同じように行き詰った気持ちと葛藤を抱えている同志たちも、これからはこの「体験」を重視して生きるようになってみるというのはいかがでしょう。私にはどうも、そうしている内に自動的に色々なことが上手くゆくような気さえするのです。

 

とりあえず私は、しばらくこの心意気での生活を試してみようと思います。