ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.17「不思議な夢」

不思議な夢

 
先日、やけに印象的な夢を見ました。
 
見てからもう三日以上が経ちますが、まだ内容を鮮明に覚えておりますので
「コレは何かあるんじゃないか?」ということで
ここに書き出してみようと思います。
 
それは、山奥の古びた神社を訪れる夢でした。
 

無骨に岩が埋められゴツゴツした道の先で、急に足元で始まる「畳」を上がった先に賽銭箱と拝殿がありました。何とも奇妙な構造です。建物の古びた外観とは対照的に、内部はやけに小奇麗な畳の間であり、拝殿に向かって、紅白の風車、榊、菓子、その他何らかの児童向け玩具など、とにかく色とりどりで、しかも真新しいお供え物が沢山捧げてありました。その中央には満面の笑みを湛えた、人の掌に載るくらい小さく、全身が金色の"福の神"のような姿があり、よく見ると口元も微かに動いていらっしゃるので、置物などではなくそのまま「神様」ご本体であるか、或いは置物を依り代として動かしていらっしゃるであろうことが察せられました。

 
何故だか私は五円玉を一枚と、一円玉を二枚といった変わった配分でお賽銭をしまして、敬意を込めて合掌をしたと思います。すると神様であろう存在が、何やら饒舌に語り始めました。そのまましばらくはありがたいお言葉を拝聴していたとは思いますが、惜しくも全容を覚えてはおらず、唯一印象に残っているのは締めの一言のみです。それは、「閉ざさなければ、希望はある」というお言葉でした。何だかやけに晴れやかに、優しく背中を押すようにそう仰ったのです。印象的だったその言葉を頭の中で反芻している内に、やがて夢は終わりを迎えました。
 
「閉ざさなければ、希望はある」
 
目が覚めた後にもまだ頭に残るその言葉を吟味している内に、「そうか、希望を閉ざしてしまうのは常に我々自身であり、閉ざしさえしなければ希望はいつでもあるのだな……」といった思考に辿り着き、やけに腑に落ちた気分になりました。何故だか、あの言葉にはそのような真意が込められていたのだと確信を持てたのです。
 
折角なので、いかにもご利益がありそうなこの夢と、金色の不思議な神様が締めに仰った「閉ざさなければ、希望はある」という金言を、読者の方にもお裾分けしておこうと思います。
 
我々に幸運がありますように。