そして、胸中の静けさ
従来の作曲や映像の練習投稿に加え、つい最近は「自声によるラジオ動画」を追加した私のYouTubeチャンネルですが、想定を遥かに上回る再生回数をいただけていることや、同時に開設したマシュマロアカウントの方からも既に"20件"にも迫る、初心者としては多すぎる気がする投稿をいただけていることからも、脳が刺激を受け、妙に興奮しているように感じられているこの頃です。
しかも、それが自分がこれまでに手を出してこなかった「音声発信の世界」での出来事ということもあり、尚更なようなのです。
未知の高揚感の中で、気持ちだけが先走り、「YouTubeチャンネルを大きく成長させなければ」という感覚によって意識が過剰に占められていることに、ふと気が付きました。
しかし、そもそも私の発信の意図とは、生きることに苦しみながらも、まだどこか純粋な目でこの世界と向き合おうとする健気な人々。何もかもが直接的な物質主義的快楽に偏った世相の中で、なおも日常の些細な情緒を尊ぶ人々。または、私と同じように現代の見渡す限りのメジャーの虚無性、暴力性を発見し、日々の虚しさを抱えている人々に「私たちは決して一人じゃない」ということを伝えるものであり、愛おしい彼らに対して、自己流の努力で見出してきた「奥義」を容易く差し出し、託すためのものであり、及び騒音に脆い数々の耽美の心、繊細な思考の一切れといったものを、世の片隅の未だ重戦車に踏み鳴らされぬ一角に確かに保存しようとする試みであって、それらの心境のいえば、いずれにしても非常に静かなものであった筈です。
窓から音もなく流れ込む冷気に諭され、そんな「初心」を呼び覚ます夜でした。
「コンテンツ発信」に於きまして、目に見える数字の上下を目先に一喜一憂するよりも、ただ己の信じるところを目的のままに粛々と続け、あくまでもそれに付随するものとして数字上の結果を受け入れるべきということは、これまで曲がりなりにも発信行為を続けてきた旅路で幾度も痛感してきた筈が、ちょっと新しい刺激に囲われればそんな基本を失念しているのですから、私もまだまだ青二才です。
遂に知り合えた同志、そしてまだ見ぬ同志たちの涙を想えば"茨の道"など何のその。
回復、超越を目指し、いざ立ち上がれ、ホログラフィックスマイル9号機。
泣け、9号機。
笑え、9号機。
絶望しろ、9号機。
愛が見えたか? 9号機。
10号機は見付けたか? 9号機。
大丈夫。君には元気が無くとも無尽蔵の狂気がある。
狂気があれば何でも出来る。