ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.27「春の夜、軌道修正」

noteとは差別化を図るとあれだけ言っておきながら、結局こちらでもnoteモドキの投稿ばかりを続けてしまっていました。度々「口だけ」になってしまうのが私の悪い癖です。

 

なので一旦ここらで帯を締め直し、こちらの空間ではあくまでも「日記」や「内省文」の方向性で筆を執るべく、軌道修正を図ってみたく存じます。

 

こういった話も、通りすがりの閲覧者様からしてみれば「知るか」「とっとと安定しろ」といったところでしょう。いやはや、誠に仰る通りでございます……。

 

ところで、いつもながら気まぐれにネットサーフィンをしていた折に、「日記を付ける習慣は健康に良い」と改めて読んだのが、実は今回のこうした小さな決意のきっかけになっております。

 

日記の効用として、言語化と客観視の能力が鍛えられるであろうことは容易に想像が付きます。日記、つまり「常日頃から内的な感情や思考を文章にする習慣」を続けるからには、たとえば日常における友人との会話の中でも、強面の師匠から感想文を書かされる機会であっても、様々な場面でこれが活きてくる筈なのですから。

 

思い返せば、そうした真っ当な「日記」というものは、私はこれまでにほとんど書いたことがありませんでした。頭の中が混線して行き詰った際、気まぐれにメモ帳ソフトでも開いて、そこに嘔吐するかの如く書き殴るという応急処置を稀にやっていたくらいです。色々な絶望感、無力感に胸を占められ発狂しそうな夜に、「狂いたくない、狂いたくない」とひたすらに無骨で力押しの連打を書き乱れていたくらいなものなのです。

 

そんなことでも随分心は晴れましたから、やはり「書く」という行為は偉大だと思われます。地球から理性という名の尊くも厄介な重責を任された人間が編み出した、メンテナンスの為の必殺奥義なのだろうなと、つくづく……。

 

いや、それにしても何だか私が書くのはどうしても普通の「日記」になりませんね。今日は〇〇というアニメを見て楽しかったとか、今日はピクニックで梅干し入りの美味しいおにぎりを食べたとか、そういう具体性がありません。いつもフワフワと浮いた抽象的な思考の世界にばかり没入したがります。何処までも地に足のついていない人間なのではないでしょうか。

 

ああ、ただしかし……。最近は真っ当に地に足のついた"とある問題"についてを自覚し、我ながら危ぶんでもおります。私はこういうのはいつもパソコンとキーボードを使ってカタカタとやっていますが、文章を打っている際にタイピングの誤字がやけに多かったり、後で読み返してみて意味が通らないものを書いていることが明らかに増えたのです。

 

長期ひきこもりという身の上もあり、私は自分が若年性認知症に罹るのではないかと懸念することが前々からありました。その恐怖が今、再び、春の草花の目覚めと共に蘇ってきたような感じです。春の夜の、この微かに生気の香る涼しげな夜に、自身の頭の無事と、それから苦境にある同志たちの無事を願うばかりのひきこもりなのでありました。

 

さて、今回はこのように、精一杯、遠慮もせずに、内省に偏った文章を書いてみましたが、いかがだったでしょうか? ワンパターン? それに年寄り臭い……? なるほど、言われてみれば確かに……。しかし恐らく私は実際にそういう人間なのです。過疎地の畑にくたびれるボロ案山子にさえ同情される程、華の無い性格をした男なのであります。

 

ですが、こんな華の無い日記を最後まで読んでしまう貴方も随分物好きな御方だなと、私は一目置いています。まさに物好きのカガミ、好奇心のツワモノじゃないかと。もっとご自身のことも大事にされてくださいね。