ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動禄vol.1 「結局私はそうなる」

こんにちは、同志。

 

相変わらず「note」の方では全体向けの記事らしい記事を投稿し続けております。

それが最近、10を超える「スキ」をいただけることも増え、私にしてはとても信じ難い高評を賜っております。日頃から長文癖である私と、長文を前提としたnoteというサービスの相性が存外にも良かったのでしょうか。または、「ひきこもり当事者の長文発信」というジャンルからして、前提から希少価値があったお陰でしょうか。

 

今私がnoteで行っているように、自分が気になることを気になるままに発信した場合、まず誰からも評価されないことは確実で、それどころか「そもそも誰からも見られない」が当たり前のネットライフをこれまで過ごしてきただけに、本当に不思議な気持ちになります。

 

これからも少しずつ認知されてゆくのか、或いは何処かで方向性を見誤ってしまい再びかつての「0の世界」に転落するのかはわかりませんが、いずれの末路を辿るにしましてもそれは美しい因果の帰結なのでしょうから、ただ気の赴くままに発信を続けて参る所存です。

 

さて、そんなnoteとは差別化を図るために、こちらのブログは個人的な「日記」の役割を担わせた発信媒体と改めまして、今後も気が向いた際にはブログ投稿を続けてみようと思います。日記でありながらも、このようなブログを目にしてしまう好奇な同志らへと向けて、ポカンと開かれた空気感でお送りいたします。我が物のようにご覧ください。もしも、飛び交う私の思念の内で読者の方にとって有益なものでもあれば、ぜひお持ち帰りになってご活用ください。

 

大と小のウロボロス

 

自己よりも集団。

集団よりも種族。

種族よりも宇宙。

宇宙よりも大恩。

 

このように、物事の基準をより大規模に置いて感覚するコツを掴んだことで、私は昔に比べて遥かに強い人間になれた気がしています。人によってはこれを「過度な自己犠牲のリスクに繋がる」として警戒されるかも知れません。しかし、実はこれは個人としての危機回避、回復に於いても活きてくる技術なのです。具体的には、全体の功利の為に、むしろ自己が意地でも生き延びねばならない。いち早くその苦境から脱し、自己を万全に回復させたうえで、最大限のパフォーマンスを以て全体問題の解決に当たらねばならない。このように考えられるからです。

 

「人間なんてつまらない」という気持ちで世界を広く広く見渡そうとしたところ、それに比例して今度は個々人の唯一的価値が際立って見えてくる。細部の条件までを綺麗に揃え持つその人にしか出来ないことがあり、役割があるように思える。上手く言えませんが、全は個であり、個は全であるかのような感覚に辿り着くのです。まるで、それらは初めから完全に相反する概念では無く、「幼馴染の相棒」が親し気に並走する関係にあったかのような、実に奇妙な感覚が…。高度な俯瞰を目指した結果、却ってミクロの観点から個々人を重要視する考え方が生まれてくるのだから不思議な話です。

 

小難しい話を書きましたが、単純に、私がアホなので正常に思考出来ていないという可能性も十分にあります。

 

日記らしい日記

 

いやいや、それじゃあ結局「note」と大差ないじゃないかと自分でも呆れてきました。

気を取り直して、最後にはもうちょっと日記らしいことを書いておこうと思います。

 

最近は気分が「他者とのコミュニケーション」に寄っています。

不調時にはもっと目線が内側へと向かい、あれやこれやと埒の明かない不安や絶望、その決して溶けることのない鋼鉄の飴玉を舌の上で転がし続けるばかりの生活になるので、そうなっていない時点でだいぶ良いという気がしています。

 

気分が内側へと向いて、内向的に苦しむ時間。

それを「自分自身と一緒に居ることに納得できる状態」にまで持っていければ

より深い思想を獲得し、思考力の錬磨も行える、良い意味での「孤独」として

非常に有意義なものになるということを最近習いました。

 

そういうわけで、次に私が内向的な気分に陥った際には

なるべくその「孤独」になれるよう目指してみたく思います。

 

相変わらず「discord(ディスコード)」という通話ツールを用いて、ひきこもり、または生き辛さを抱える社会人との方々と関わらせていただいております。(ちなみに、私のディスコードIDは精神疾患用の友達募集サイト「menpal」に掲載されているので、ご興味のある方は是非お気軽にお越しください。)

 

最近もまた日々噛み締めているのは「他者と会話が出来ることのありがたさ」というもので、何といっても「異なる脳からの思考、精神」を生の言葉で分けていただけることが凄いと思います。私がどう足掻いたところで獲得できない、全く異なる人生、全く異なる見え方と感じ方。故に、新しい視点や感覚を得られ、自身の見慣れた人生の中から新種の宝石が発見できるようなことが起きます。

時には別惑星のテクノロジーを以て、私が長年苦しめられている「枷」を瞬く間に破壊してもらえることもあります。それもまた、異なる脳でこそ成せる技なのでしょう。これは本当に凄いことだと思います。「宇宙人」に遭遇できる機会とは、どんな宗教や創作物も超えて、ごく身近な空間にこそ溢れているものなのかも知れない。ややオカルト染みた言い方ですが、なんだかそんな風にも思わされてきています。