ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもりの作法 ~正しきひきこもりの為の神聖十ヵ条~

ごきげんよう、並みならぬ同志諸君。

 

今回はホロこと私個人が「ひきこもり」として過ごすに当たって掲げている諸々の自戒についてを、面白くおかしく記事としてまとめ上げてみました。

 

名付けて「ひきこもりの作法 ~正しきひきこもりの為の神聖十ヵ条~」です。

 

また出ましたよ、こういう仰々しいのが(笑) ようやくブログタイトルに見合った記事を投稿できたという細やかな満足を感じていたりもします。物好きな読者さんがいらっしゃいましたら、是非とも息抜きのネタ感覚でお楽しみください。いや、そうは言いつつ書いている本人は九割方真剣だったするのが私の恐ろしいところですね。

ご堪能あれ……。

 

 

ひとつ、初心者は療養に徹すべし

ひきこもりに成り立ての頃は誰しもがその精神、肉体を大きく損傷しているものである。従って、再起を図る為にもまずはその治癒こそを最優先の事項とし、再び安定して命を続けられる状態に何としても辿り着かなくてはならない。

 

「死」という選択肢が脳裏をチラつく限りは、全力でこの世界に絶望し、全力で嘆き、全力で現実逃避し続けることこそが有効である。とにかくそうやって、胸中に滞った巨大で邪悪な塊を霧散させてゆく必要がある。ひきこもりとは即ち、人体の自己修復モードの最終奥義と知らなくてはならない。そこまで追い詰められてしまったからには、強化された心身で回生を果たしてこそ。ひきこもりは終わりに在らず。新しい人生の幕開けである。

 

ひとつ、常識を破壊すべし

ひきこもりの大半は、世俗の観念に囚われているが故に悶え苦しみ、ただ生きることに於いて常人の数倍の労力を強いられている。健常な人間もまた世俗な観念に圧されることがあれども、それよりも以前に強固なる自己の信念を備え、それによっていかなる時も根幹から動じることが起きない。校則を軽んじ、教師を軽んじていた生徒たちのあの健全な活気と、学力の高さと、仲間への愛情を思い出せ。社会に与えられる規範とは大方、自己を持たぬ人間を間引く為の殺鼠剤に過ぎないのである。

 

テレビを捨てよ。ニュースを捨てよ。頭の中の社会を棄てよ。ただ与えられるそれらは極めて軽薄なるものにして、そこに健全な人の在り方などない。健常な人間ほど実はそういったものに囚われず、ただひたむきに自分の人生を力強く生きているものである。まずはそうした植え付けられた規範を脱せよ。心から人と向き合いたくば、まずはその常識を壊せ。

 

ひとつ、自己を獲得すべし

ひきこもりたるもの、社会との隔絶の中で真の孤独と不安と絶望に陥るものである。まさに好機である。これまで空白であった「自己」の獲得が期待されるからだ。ひきこもり、社会に居場所を持たず、また属することも叶わぬ者として、あらゆる基準を失った混沌空間の漂流の果てに、真なる自己といよいよ合流するのである。それは長年お前を待ち続けていた自己である。どこまでも優しい者かも知れない。どこまでも強い者かも知れない。自己とともに立ち上がるべきである。

 

ひとつ、心身を奪還すべし

ひきこもりたるもの、往々にして重度な悪習の執着者である。人体を損傷する食事、人体を損傷する行動、人体を損傷する思想。これからの脱却を一途に図るべし。

長らく悪習が心身を蝕んできたとて、態度を改めればまた心身の側も強烈な再生力を以て我らに応じてくれるものである。健康こそ万事の基盤にて、時に世俗の常識習慣さえも厳しく精査すべし。習慣を大方整えられた暁には、悪習のたかが1つ、2つはもはや些事へと成り下がり、さして恐れるに足らず。生活を揺るがされることも無くなる。習慣を整え、精神の為に肉体を鍛え、肉体の為に精神を鍛え抜いてこそひきこもりである。

 

ひとつ、己の価値を思い出すべし

ひきこもりたるもの、すでに己が無限の寵愛を賜る身であることを思い出さなければならない。間接的、または直接的にあらゆる人民の支えを受けて、宇宙の支えもまた受けて、目は見え、耳は聞こえ、鼻は匂え、四肢は辛うじて動く。ひきこもりにも日は照り、空は高く、風は撫で、海は鳴き、仰げば瞬く星々。誰よりもまず、世界そのものに生存を受け入れられている、これらの感激を想うべし。

 

ひとつ、基本を重視すべし

ひきこもりたるもの、朝日と共に起き、月夜と共に眠り、在りし昼夜と再会すべし。また、食事に際しては頂く命に礼し、人に挨拶を貰えば素直に返し、子や老人をなるべく助け、親切を受ければその心に謝し、社会や立場に拘らず、ただ実体の人々の善意を尊ぶのが良い。これらは当たり前の人の在り方ながら、現代人の多くがこの基本こそ喪失している現状なので、ひきこもりの身に落ちてこそ、これらを深く体得すべき好機である。これらはまた、他者に納める礼儀に始まり、遂には己の人間性をも格段に向上させる秘法である。

 

ひとつ、自然を観察すべし

ひきこもりたるもの、実在の自然を観察すべし。自然こそ人にとっての根源的な世界観であって、謂わば己を知り、世界を知り得る窓である。人工情報に塗れたこの現代で、敢えて再びそこに向き合えば、多くの天啓、そして多くの修正を得られるものである。自然とは頭でわかる理屈を超えて、感覚の芯へと流れ込む清らかな治癒の水でもある。あらゆる自然へ目を向けて、時には挑み、畏怖し、慈しみ、その懐の深さを知るほどに、正常な現実世界との接続が再び叶うであろう。

 

ひとつ、人を求めるべし

ひきこもりたるもの、人を求めなければならない。人並みの会話能力が無いことを踏まえた上で、それでも尚人と繋がることに努めなければならないのは、人としての成長はやはり人との関わりの中でこそ錬磨されてくるものだからである。

 

現実の社会に属さぬひきこもりであれば、何らかの方法で、例えばインターネットを用いてでも他者との関わりに臨むべし。常に己が失敗と不足を受け入れ、根気強く研鑽を続けようものなら、ひきこもりでありながらにして人格は熟し、やがて世間にも通ずる対人技術を獲得するに至る。

 

ひとつ、世界を遊ぶべし

ひきこもりたるもの、この世界を遊ばねばならない。道中に起き得る数々の失敗と敗北さえも、人の身にあってこその極上の嗜みであると知るべし。その味わいを深く知る程に、やがて折れぬ意気地は培われ、失敗を元に将来に命が助かることもある。

 

また、超克の喜びをわかるようになるもの。登山の如くに、道中の苦難を含めての娯楽であると知るべし。即ち、人生とは大規模の遊びにあり、世界を遊ぶことこそ我々の本義である。この身軽な心持ちに、真の能力を開放する秘訣あり。

 

ひとつ、精進に励むべし

ひきこもりたるもの、その厳しい制限の中で何処までも人の高みを目指してゆかねばならない。社会復帰、或いは個人としての万全な自立へと向けて、毎日が人間性とそれに連なる諸技術の修行場として有意義であるべし。いずれかは、己がひきこもりに陥った来歴を誇れるまでの進化を遂げて、今度こそはより強固な土台を踏みしめ、この世界との合流を果たせることが望ましい。

 

殻を閉ざし切ったひきこもり生活の果てに、むしろ超越的な大解放に決着してこそ真のひきこもりである。