ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもりと昼夜の秘法

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"昼夜の切り替え"の重要性については以前にも同様の記事を出して言及していたが、本記事では月と太陽のような「とある二種類の脳内物質」の存在を踏まえ、もう少し具体的に掘り下げて考えてみる。個人的な備忘録の意味合いが強いが、何か参考になれば幸いだ。

 

 セロトニンという言葉をご存じだろうか。

それはしばしば「幸せホルモン」「姿勢維持ホルモン」なんて呼ばれ方もされる

人間機能の働きには欠かすことの出来ない神経伝達物質だ。

主な分泌方法としては「日光、運動、スキンシップ」などとされている。

悲しきかな、そのいずれもひきこもり生活では自ずと遠退いてゆくもの達だ…(笑)

 

メラトニンという、その対になるような存在がある。

セロトニンが人体にとっての太陽だとして、こちらは月のような働きを行う。

「睡眠、覚醒、ホルモン分泌等のリズム調整、催眠作用」という効果を持ち

人体の維持に欠かせない。特に催眠作用は現代人にとって肝心になる。

分泌方法としては、こちらは自動でやってくれる類だが、体内時計の働きにより日中は分泌量が落ち、夜間は分泌量が倍増する。また、夜間であっても強い光を浴びたりすると分泌量が落ちてしまう。反対に、夜間に正しく暗い空間で過ごしていれば分泌を阻害せず、緩やかに睡眠への門が開けることとなる。

 

以上、まるで人体内の太陽と月のような関係の脳内物質をいかに正常に循環させて行くかが健康維持の肝になってくるかは想像に難くない。面白いことに、市民が一般的に認知する「昼夜リズム」と地続きにして、人体内というミクロな視野でも同様の構造が起きていることは、時の専門家たちも情熱をもって力説する人体の美学である…。そしてこの「循環」の重要性といえば、血液であったり、呼吸に於いても然りだ。筆者は好奇心から様々な健康情報を読み漁る癖があるが、総括して見えてくる健康の本質とはやはり「循環」だったりする。そんな人体の根底を司る「循環」という仕組み。しかもそれが時には人体という括りさえ超えて、企業論やアクアリム、農業、宇宙規模の世界にまでそっくりそのまま当てはまってくるから面白い。

 

やや話しが逸れたが、メラトニンについては恐らく私自身にも一時期かなり問題があり、寝ていても夜中に目が覚め睡眠が阻害されてしまう「中途覚醒」が起きたりだとか、どれだけ寝ても消化不良のようにすっきりしない「睡眠の質の悪さ」に悩まされていた。それらは「日没後はなるべく早い段階で部屋を暗くする(または読書ランプなどの細かな灯りに変える)」ことを習慣化することによって、気付けば中途覚醒は無くなり、朝の目覚めも以前と比較すればかなりマシになった経緯がある。

 

(※ただ、睡眠障害とはその他生活上の不安だったり、身体の栄養状態など複数要素が絡み合っている起こるものなので、「暗い環境づくり」というのもあくまでも一つのきっかけだったようにも思う。睡眠については多方面から見直していく必要がありそうだ。)

 

現代とは技術の進歩によって、良くも悪くも闇夜を押しのけて光を発するものが多くなった。個人として使う機器端末にしてもそうであるし、とくに都市部の夜といえば昼にも劣らぬ明かりと活気にあふれており、そんなわけで現代では案外「ふつうの静かな夜」とは貴重なものになってしまっている。「テクノロジーによっていまや夜は絶滅危惧種であり、各自の工夫で保護していかねばならない」私は時折そんな風に例えたりもしている。

 

繰り返しになるが、巡る昼夜のリズムをそれぞれ尊重し、自身もまたその一員として一体化することが肉体にとっての、また精神にとっても根底的な補強に繋がってくると思われる。朝は新鮮な日光を浴びて細胞レベルから目を覚まし、清々しく何かに取り組む。そして日が沈めば徐々に活動を緩やかにしてゆき、きちんと夜空に月を浮かばせながら、一日を回想したり、心の整理に時間を充てる。そうする内に恐らく多くのひきこもりが思い出すのではなかろうか。「友達が少ないから自分には価値がない」だとか、「誰かに認められたい終わりなき承認欲求」だったりとか、或いは「社会的な競争に参加し、勝たなければならない」という強迫観念だったり。そうした人口の価値観からなる社会という空間以前に、もっと大きな根元部分での"現実世界"では、望めばいつでも私たちが一員として回帰できる広大さを保っていることを。また、どれだけ落ちぶれようとも、私たちは星に生きる一つの命としてその存在が肯定されている。故に今もこうして息をして、悩んだり考えたりできていることを。

 

 再三挙げている昼夜のリズムを筆頭に、こうした自然リズムとの再結合に意識を向けていくことは、あらゆるものから断絶されて不安定に陥り易いひきこもりにとってはかなり重要なことだと思っている。長年の実体験を以てそう感じられるのだ。いずれかは心身不調を脱して社会という空間に復帰する、或いは人にとっては社会を超克するかも知れない。そのどちらの下準備としても、まずは一人の生命体として自然リズムと合致して、追い風を受けておけばこれほど心強いことはない。健康あってこそ力が発揮できるものだ。例えどれだけ時代が進み、テクノロジーによって社会全体の機械化が進んだところで、私たち一人一人の根底が、自然由来の血と肉で出来た有機生命体であることはいつまでも変わりようのない真実だと思う。