ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもりと"労働"

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最近、こんな言葉を聞いて強い衝撃を受けた。

「働かない=楽というのはシャバだけの発想」

 

曰く、囚人は自ら進み出て労働に乗り出すようになるらしい…

 

 働いたり何かにやりがいを見出していない状態が苦痛で堪らず

それに耐えられなくなるそうだ。

人間は何もしないのが一番苦痛だとも言われている。

 

現代ではすっかり「労働=苦痛」という世界観に成り果てているが

その元凶は労働という行為そのものにはなく

現代の病的に捻じ曲がった環境であることはだんだんと想像がついてくる。

 

本来的な労働とは、人の能力を発揮させ、憂鬱を和らげる健康習慣。

そんな素晴らしい人の文化が、何かの間違えで歪みきってしまっているのだとすれば

あまりにも嘆かわしい。その一方で、正常な環境下で観測されるであろう

人間という種族の労働、それに伴い生み出されて行く多方面の功利とは

如何ほどに美しいものだろうか…。

 

さて、話は原寸大に戻ってひきこもり談義である。

一説では、人は自らの能力を発揮する際に多大な幸福を得られると言われている。

その逆がいかに辛いことであるかは、冒頭に挙げた通り想像に易いだろう。

つまりひきこもりとは、下手すれば「刑務所よりも辛い」環境で服役を続けている

無実の受刑者衆だとも言える。

働かない状態によって、心身共に働く以上に辛い境遇にあり続けるわけだ。

 

とはいえ、ひきこもりが総じて「何もしない」状態であるかといえば

そんなこともないだろう。ある層はオンラインゲームに精を出し

時間的優位を活かして、並みの社会人なんぞは次々となぎ倒していく。

ある層はコメント欄で見知らぬ誰かと罵倒し合い

あまり人様に言えない切り口から疑似的に社会刺激を補完する。

私は筆を執り、足りない知識を薄インクに薄っぺらいブログを書き始めたりする。

お分かりいただけただろうか。

ひきこもりはひきこもりなりに、自らの習慣から虚しくも欠落してしまっている

「労働」という大きな空白を、如何様にか埋め合わせようと尽力するのである。

それは焦燥に駆られた意識的な行動かも知れないし

ヒトの本能として無意識的なものかはそれぞれわからないが、大したものである。

 

このように、切っても切れない「 人と労働」の共生関係を掘り下げて見えてくるもの。

それはもっと本質的に考えると、人にとっての「生き甲斐」の重要性ではないかと筆者は思う。同時に、それはつまり必ずしも「労働」という方法に拘る必要はないという予感に、ひきこもりにとっては一種の光芒も降ってくる(笑) 実際、その手段はボランティアでも、全身全霊で打ち込める趣味でも、興味のある勉学の探求でも良いのだと思う。学生は基本的に未就職でありながら充実しているし、公園に夢中の児童だって目をキラキラさせ、職を退いて趣味に勤しむ高齢者にも活き活きしている人が存在していることからも、やはり「労働」という手段が絶対ではないことが見て取れる。個人的にこれまでのひきこもり経験を振り返ってみても、何かに熱中している期間は心身の安定度合が倍ほど違っていたように思う。

 

ということで諸君、生き甲斐を見つけよう(なんだかフツーっぽい理論だが、重要なことなので…)「まだ熱中できる何かが見つかっていない」という場合でも落胆する必要はない。それは裏を返せば、今後ある瞬間に人生が一気に開けてくるかもしれない期待でもあるからだ。「人間は二度生まれる」という言葉がある通り、例えどんな偉人であっても何か「これだ!」というものを人生の内で見出して、その道を探求した先の結果なのだ。そこに年齢や経歴など関係ないと思う。ホームレスから社長になった、なんて事例さえある。まだ自分には熱中できるものが無い…というひきこもり諸君の精神的な部分は、謂わば胎内で懸命に栄養を蓄え、祖先の走馬灯を受け継ぎながら眉間にしわを寄せている真っ最中の悩める胎児だとも言える。

 

これは忘れがちなことだが、私たちの世界は教科書の中には存在していない。

何故ならここが今まさにリアルタイムで進行中の、時代の最先端だからだ。

そんな最先端に立つ最新の人類であれば

この世界に前例のない何かを見出したっておかしくはない。

常識や前例に囚われることなく、その眼を開いて世界を見渡してみよう。

そこに心惹かれる何かを「生まれきた価値があった」と思える何かが映るはずだ。

例えどれだけ時間が掛かったとしても、ただ諦観の気持ちで生きるよりはマシだ。

 

一つ安心して欲しいことに「私たちはいずれにしても時間経過で死ぬ生物」である。

つまり、現在当たり前だと感じているこの毎秒の時間や

いつもと変わらず退屈に感じている昼夜でさえも、期間限定のプレミア体験と言える。

 

約束された死よりも前にある、この貴重な生の時間だからこそ

むしろ"捨て身"くらいの身軽さで、色々やってみて良いのではないだろうか?

 

同志達が、晴れて二度目の誕生を迎えられる日を待っている。