秋の香気
例によって夕刻。
ひきこもり某は、やや重い足取りで玄関を潜りました。
基本的に0時就寝を心掛けているのですが、昨夜に限ってはどういうわけかさっぱり眠気が来ず、ポツリ、ポツリと浮かんでくる退廃的な悲観思考との格闘を、ああでもない、こうでもないと延々繰り広げておりました。それで結局、0時に床に就いておきながら、寝付けたのは深夜2時を過ぎた頃だったと記憶しております。
そして、翌朝。起床時刻は9時でした。
7時間ほどは眠れている計算なので、全く致命的では無い筈ですが、寝つきが悪かった影響か、心身共に今一つ調子が出ない感覚が拭えません。睡眠以前にそもそもの話として、心の波が不調に寄っていた気もします。昨夜に引き続き、日中は何だか自然と気分が落ち込んできたり、解決の無い自己否定なども湧き起こってしまい、無為な時間を過ごしてしまっておりました。アスファルトに張り付き、焼けて黒化したガムのように、頭の片隅にあり続ける悲観。しかしこれも幸い、夕刻に設けた「散歩の時間」によって、一気に洗い流してもらえることになりました。
不思議な体験でした。外に出ると、何やら「爽やかな香気」のようなものを感じられるのです。どことなく気品のある、それでいて懐かしいような香りです。他に例えるなら、日本の古い和歌などに綴じられているような……。
初めは何処かの家で上等なお香でも焚いているのか、または自分の服に残った洗剤の匂いを偶然そんな風に感じられているのかと思いましたが、どうやらそれらも違うようでした。
私は不思議に思いながらも、お決まりの散歩道を通過して、かれこれ10分間くらいは歩き続けていたのですが、やはりどこへ行っても「爽やかな香気」が尽きることはありません。そうなると自然に、外気全体がそういう匂いであるという結論になってきます。それは仄かに高貴でありながら、吸うほどに胸の奥が洗われ、郷愁の心地にさせてもきます。そして私はこれを「秋の香気」であるのだと、勝手に結論付けた次第です。
「季節の匂い」というものが、この日本には色濃く存在しているのは周知の事ですが、秋の匂いをこんなにもハッキリと感じられたのは今回が初めてのことです。そもそも、「季節の匂い」とは一体何がそんなものを引き起こすのでしょうか? 「温度によって味が変わる」という話は食品関連でも度々話題に挙がりますが、匂いもそれと同じように温度の加減によって多彩に変わるならば、秋の適度に冷えた空気が大地と反応して、この爽やかな匂いを発生させている……という推測も立ちます。または、季節特有の植物や、花の匂いが混じり合ってそうなるという推測も。はたまた、そういった既知の物理現象の枠組みを超えて、「秋」に対応した幾万もの精霊たちが、地上の万物を姿なき抱擁で慰めにきた……と考えることも、長期のひきこもり生活によって飛躍した私の頭では容易になります。歩きながら30分も経った頃には、何処へ行っても付き添ってくれる爽やかな香気に、私の意識はすっかり最後の神秘説を採用していました。
或いは、極度な精神的困窮者は自ら"神秘体験"を創造するのかも知れません。
不思議な香気と、まだ薄青いくらいの夕刻の空。静かに頬を撫で続ける涼風。そんな中を歩いている内に、私はだんだんと、これらの現象の裏には私の悲観に対する処方を施してくれる何者かの"慈悲"があるような気がして参りまして、やけにしみじみとした気分になっていました。
気候の変化により、近年では「春」と「秋」は実質ほとんど消滅してしまったとも言われていますが、この貴い「秋の香気」は一体あと何日続いてくれるものでしょうか。今年はこのたった一日だけだったにしても、こんなに強く味わうことが出来たのは贅沢な体験だったと身に沁みます。