ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもりと縮小する世界

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ひきこもりが長引くと、世界がどんどん狭くなっていく。

勿論、これは比喩的な表現であると同時に

或いは「ホントに文字通りそうなっているのではないか?」

という感覚さえ湧き起こるほどの、危機的な問題でもあるのだ。

 

 自分がブックマークした手垢付きのインターネットサイトを巡回し

辛うじてあるネット上の人間関係も、自分が関わりたい人間だけを選別して固まり

やがてそうした自分に都合の良いものたちだけが自らの"世界"のように感じられ

「隔絶された村の奇習」みたいな人間になっていく。だんだんと…(笑)

 

活動的な社会人であれば、仕事やプライベートを介して

自分が好きな人から嫌い人まで

または異星人級に全く思想や価値観の異なる人間とも

強制的に交流する機会があるはずだ。

それは恐らく脳に必要な種類のストレスを得ると同時に

異質な他者と関わるからこそ、相対的に自らの個性を理解したり

ひとつの価値観にだけ囚われない、広い視野が補充される経験になっているはずだ。

 

というのは何よりも自身への自戒であって

かつて某オンラインゲームの狭いコミュニティにだけ属し

「そこだけが世界、そこにしか自分の居場所は存在しない」という

そんな過激な錯覚に陥っていたことがある。

すると価値観もだんだんと狭くなってくるし、

コミュニティ内で何か一つケアレスミスを犯しただけでも

「自分はやっぱり人間とは関われないのか…」なんて病的な絶望を催したりした。

幾ら過疎っていたとはいえ、それは多人数の集うオンラインゲームでもあるので

複数のコミュニティを跨いで展望を取り戻せば良いだけの話なのだが

そうしなかったのは、既に筆者の"世界が縮小してしまっていたから"だと思う。

 

自分が目にするものだけが世界に思えてきて、自分が知るものだけに縋りつく。

もしかするとこういう現象は、自然界でも水滴が自ずと結合し、一点に集まろうとする性質を持っているように、ある種の宇宙原理の一つなのかも知れない。

いやしかし、ヒトは水滴如きの簡素な存在ではなく、自発的に動く高度生命体だ。

理由を付けて甘んじて良い筈がないと思える。

なにより水とは、動きが止まって滞っている箇所から腐敗していくものだ。

 

では、如何にして勝手に起きてくる「世界の縮小」を止めるかというと

自分には無い価値観や思想に、みずから進んで触れていく必要がある。

(犯罪的な意味合いではなく)すごく変な人とか、趣味が違った人と関わってみたり

日頃見ない本やアニメや映画をあえて選ぶのもお手頃で有効だと思っている。

 

筆者はそうした「視野拡充」の思惑から

御身分も程遠いバリバリの社会人と関わろうとしたりする。

まあその場合、9割9分"惨敗"を手土産にトボトボ帰ってくるのだが…。

しかし確実に、そうした「別世界との交流」が良い薬になっている実感があるのだ。

狭いコミュニティで一喜一憂するのだけが世界の全てだった時代よりもよっぽど(笑)

 

 というわけで、脳機能的な観点から世界の広さを取り戻そう!

という提案と同時に、現在自分が属しているコミュニティ

もしくは生活サイクルに何だか憂鬱や絶望感を抱きながら生きている同志諸君へ送る

「そこは広い世界のほんの一部に過ぎない」

「まだ私たちは本当の世界を知らない」

という激励が本旨の記事だった。

 

果てしなく続くようなこの陰鬱なウイルス騒動によって

日常的に覚える窮屈感も余計に高まってきていることではないだろうか?

もう何処にも行き場所がないような気がして

ぜんぶ諦めたような心地になってきても無理はない。

しかし待って欲しい。

仮に四方を壁に囲まれたとしても、よじ登って逃げ出せばいい。

何なら脱獄囚よろしく、床下を掘って道を開拓しても良い。

 

不遇や孤立がなんのその。

こんな世の中じゃ、元よりそっちが標準だったはずだ。

サア、魂を蘇らせろ。怒りを糧に掘り進め。我々は何処へでも行ける。