ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.30「自己啓発が何故有効なのか?」

 

結局、人間はどれだけの才能と財産があったところで、何かを「やろう」という意思が無い限りは、何ひとつとして行動が起こせないようになっています。

 

例えば、生まれと環境にこれでもかと言うほど恵まれ、所有地で「年収10兆円クラスの事業」を拓けるだけの知識、財力、人脈を持っている甚だ幸運な男が居たとします。しかし、そもそもそれを「やろう」という意思に火が付かない限り、生まれも平凡で財力も持たない無職ひきこもりの私と同じく、彼は部屋の隅で両膝を抱えて「生きている意味がわからない」などとぼやきながら、その内に食事も碌に摂らなくなり、息を絶やしているかも知れません。

 

もっと身近な例では「手紙に文章を書き綴る」時なんかも同様です。その時白紙の上に表れてくるすべての文字は、形のない「意思」という透明のエネルギーによって支えられております。感情、想い、気力といった無形物をなくしては、文字という"形"は生まれてこないのです。そしてこれら透明のエネルギーへと根本的に訴えかけるものこそが自己啓発であり、故に人生レベルでの治療、改善へと成り得る。私はこのように考えます。

 

人間はどれだけ多くの才能と道具に恵まれていても、本人の意思でそれを「やろう」と思わない限りは何も起きないというわけです。容姿に恵まれた美男美女に、まずは雑巾みたいにボロボロの服を着るのやめてもらう。無自覚な賢者に、リストカットを続けるカッターナイフを捨てさせ、代わりに紙とペンを持たせる。「自分には何も出来ない」と嘆く怪力を持った巨人。彼に立ち上がってもらって、誰も届かなかった場所に橋を掛けてもらう。

 

そしてそれを手助けするものが、"本"という形式に留まらず、様々な「自己啓発」であると考えられるわけです。

 

そういった意味では、自己啓発とは虚妄の世界に囚われた各人を現実に引き戻すための「救命具」なのかも知れません。