ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.31「愚かなるひきこもりの石像」

 

重篤なまでのインプット不足。

 

最近はこれを感じる瞬間が多いです。私といえば、朝から晩までほとんどモニターに向き合って、小さなキーボードをカタカタ鳴らすばかりの日々。「自分の発信は似たような内容が増えてきたのではないか?」「どころか丸ごと重複していないか?」と危ぶむこともしばしば。日頃のインプット量が少ない上に、分野も偏っているせいでしょうか。本も月に1、2冊くらいしか読んでいません。

 

それからPCが頻繁にフリーズするようになったこともあって、「今すぐ経済力を付けなければ……!」という焦燥感にも駆られております。万が一目の前のこの便利な箱が使えなくなってしまった場合、現実世界ではただの貧弱なひきこもりでしかない私は、唯一「社会」と繋がれているこの窓を喪失し、もはや死んだも同然に。一応は要るだろうということで親に買ってもらったスマホも、鈍い動作で辛うじて動く骨董品と化しており、あれはもうあてには出来ないと思います。

 

「感情に蓋をしているせいではないか?」

 

ふと、知人からそんな助言をいただきました。冷静に思い返してみるとここ数か月、私はこれといった喜怒哀楽を感じられていません。ロボットのように淡々と、白か黒か灰色の似たような色彩の四角ブロックが直線上に並ぶ、まるで人工甘味料のような日々を過ごしています。

 

なるほど確かに、感情に蓋をしている。もっと言えば、感情が動いていない。感情が起きるべき数々の事柄にさえ、心臓の凍った無感情を貫いているように見える。そのくせ悲観だけは一人前にこみあげて来ることが増えたので、だいぶ悪い状態かも知れません。思えば、元々はそういう状態のひきこもりでした。寝て起きるだけで精一杯で、外出するのは死のうとする時だけ。完全に壊れてしまえば楽になれると思って、ネットでは精神に異常をきたすとされているコンテンツに積極的に触れていました。

 

アニメ、マンガ、萌え。そういったオタク文化が身に馴染み、熱狂できる人々のことを横目に「羨ましい」と、「もし、私も彼らと一緒に騒げていたら」と思いながら生きてきました。大衆向けの楽しいものや、お洒落なものや、可愛いものには何故だか乗れずに、むしろ賑やかなそれらから、そこはかとない「反知性主義」「攻撃性」みたいなものを感じ取っていました。それは感受性が鋭いということなのか、単に偏屈者の錯覚なのかは今もわかりません。ホラーや狂気系コンテンツ、あとは古い文学だけが肌身に馴染んで暖かかったものです。今でもそれらには「懐の深さ」「精神的な豊かさ」のようなものを感じ取れます。

 

そんな時代もあったなと、遠いような近いような……。今夜は懐かしく振り返っております。感情が淡々としがちだったので、こうして喜怒哀楽のうちの「哀」に浸るというのも良いかも知れません。「ブログ記事を書きながら」という一定量は知的な行為に落とし込めば、暗い自室で膝を抱えているだけよりは遥かにマシでしょう。

 

 

嬉しかったことの報告

 

note.com

 

ありがたいことに、本日投稿した有料note記事↑が早速ご購入いただけました。前半部分では憂鬱な話ばかりを書きましたが、冷静に考えてみると、有名人でもなければ専門の知識があるわけでもない私が有料記事を買ってもらえるなんて身に余る贅沢を賜っています。本当にありがたい話です。

 

「この人の発信を追っておいて良かった」「あの時、記事を買って良かった」読者の方がそんな風に思える日が来るよう、今後も精進して参ります。「社会」はとうに腐っているというのが私見ですが、「宇宙」は本日も色々な真実を私たちに届けてくれている気がします。誰もそれに気付こうとはしないだけで……。私は出来れば一流の媒介者になって、皆さんには色々と衝撃的な真実を思い出していただきたいものです。

 

 

本日の〆

 

「なんてくだらない世界だすばらしい」

 

私が好きな歌詞です。葛藤の尽きぬ夜は、是非皆さんも私と一緒にこれを連呼しましょう。

 

ちゃんと憎んだり怒ったり喜んだりしてこそ、心は滑らかに動き出すでしょうから……。

 

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