ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.32「たまには極個人的な日記」

回生なるか?

ここ最近、体調の悪い日が増えて参りました。

 

昔のように一週間丸ごと黒塗ったような惨状にまでは至らないものの、一週間の内で日を跨いでポツポツと、3、4日ほど不調があるようなことが起きてきています。

 

調子の良い日を「白」、調子の悪い日を「黒」とすれば、カレンダーにちょうどピアノの鍵盤を作れそうです。もしも私がピアノ弾きなら、これを弾いて憂鬱な5月のメロディでも奏でられたことでしょう。

 

嗚呼、それにしても、昔はカレンダーが"真っ黒"だったわけですね……(笑)

 

旧友

私にはもう何年も前にDiscordでアカウントを消されたか、フレンド登録を解除されてしまった、かつて仲の良かった友人が居ます。

 

その人がある日フレンドリストから跡形も無く消え去っているのに気付いたときは、やはり驚きました。会話の度に盛り上がっていた(少なくとも私側の認知としては)だけに、現実として受け入れるまでに長い時間が掛ったものです。

 

もしかすると無意識の内に私が失礼なことを言ってしまったのかも知れない。私が長期ひきこもりであるように、その方も社会で元気に生活しているタイプではなかったので、何かやむを得ない事情があったのかも知れない。そんな風に、少しずつ受け入れていきました。「唐突な別れ」ほど苦い味の飴玉を、私は他に知りません。

 

その方との馴れ初めというのがなかなか面白くて、過去に私が参加していたDiscordサーバーの「ネガティブなことを呟く為のチャンネル」にたった一度だけ愚痴の書き込みした際、偶然それを見てくださっていて、当時その方も全く同じ愚痴を抱いていたということで声を掛けていただいたのです。

 

ちなみに私が書き込んだ愚痴というのは、自身を「男」と告げた瞬間に音信不通になることが当時何度も起きていて、「出会い厨は出会い系サイトに行け」みたいな内容だった筈です(笑)

 

「嫌いなものが一致すると気が合いやすい」なんて話がありますが、実際その通りなんじゃないかと思うくらい、お互いの好きな事や関心事が被っており、時間を忘れて通話をしたものです。

 

そんな印象深い旧友が、先日私のXアカウントを見付けてフォローしてくださいました。Xで見られる限りの僅かな情報でありながら、記憶にある限り全ての特徴がその人と一致していたので間違いないと思っています。もちろん私もフォローを返しました。ですが、すぐにまたアカウントを削除されたのか、姿が見当たらなくなってしまいました……。

 

復縁が叶わなかった悲しさが半分、残りは嬉しさが半分。かつての空気感と色々な記憶が蘇ってきて懐かしかったこと。そして何よりご無事でいらっしゃるとわかったことが朗報でした。

 

もしかすると、以前自分から去ってしまったことで気まずくなってしまわれたのでしょうか? そうだった場合、私は少しも気にしてないということをお伝えしておきます。むしろ、私みたいなつまらない人間のことをふと思い出して、接触してくださっただけで十分な贅沢です。また気が向いたら戻ってきてください。そうでなくとも、どうか日々を元気で楽しく過ごされてください。

 

何のための発信か

「自分はどのような発信者になりたいのか」

 

について、最近は改めて考えるようになりました。

 

少し前にライター(物書き)についての本を読んだのですが、ライターになるには「文章力」は当然のこと、記事を企画する「企画力」、読者にとって見易く効果的な記事の構成を考える「構成力」、現地に自分の足で赴いて、一次情報を集めたり、インタビューをして回る「取材力」など、様々な素養が求められることを知り、現状の自分の手持ちの能力とのあまりもの落差に打ちひしがれました。

 

特に「取材力」はひきこもりであれば裸足で逃げ出したくなるような要素です。いや、「家から出てきたくなくなる」といった方がより適切でしょうか。

 

例えばnoteやブログなどのネット発信をするにしても、これら多方面の要素を完備している記事こそがやはり一番強いです。

 

私の手法は「ごく僅かな情報」を元手に、持ち前の長ったらしい文章と奔放な私見を交えて調理するやり方ですが、そこには「現地取材」を取り入れた記事を超えられない、途轍もない不利要素があるように思います。かといって、日本中を飛び回る自分の姿などどう頑張っても思い浮かびません。

 

なので、せめてその他の素養くらいはしっかり身に付けておきたいなと思うようになりました。文章をダラダラと引き延ばすのは自宅にひきこもるのと同じくらい十八番ですが、今後は「企画」「構成」といった面も意識しながら発信を試みてみます。「企画」と言っても「健康のことを書く」「自分のひきこもり生活のことを書く」くらいしか思い付かないわけですけどね(笑)

 

文章で人を壊すことが出来れば、人を治すことも出来る。いつ頃からか、私は文章にそれほど大きな力があることを確信しています。

 

書いている自分を治せるのと同時に、見た人までも治せる発信。

 

発信者の端くれとしては、そんな境地に立てることが理想です。

 

なんて、体調は悪いですがいっちょ前にポジティブに締めておこうと思います。