ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

大丈夫なのだろうか?

世が世なら、勢い余ってブログなんか開設してしまうのがひきこもりである。

動機を正直に話しておくと「自身のリハビリ」という目的が大きい。

それからもう一つの目的は…恥ずかしいので最後に話すとしよう。

 

実はブログ開設よりも少し前、長らく親しみの無かったTwitterの世界にも手を出してしまっている。若者たちみたいにキラキラした生活を送れていないどころか、私のはそこらの疲れたおっさんにも劣る空白のひきこもりライフなのだから、あの手のSNSなんて生涯まるきり縁が無いものだと思っていた。全エネルギーを使い果たしつつ高校を卒業して以降、何の夢も希望もない抜け殻のような一つの肉塊として、コピーペーストを飽きもせず連ねたような、それでいて稚児が入力して遊ぶ「あああああ」のような、実にくだらない日々を塗り重ねている。

 

歯医者ならばこう言うだろう。

 

「これはもう手遅れですよ、神経を抜きましょう」

 

仏陀ならばこういうだろう。

 

「どちら様ですか?」

 

ペンキ屋ならばこう言うだろう。

 

「上塗りしておきますね」

 

そんなわけで、コンクリート塀のカタツムリにすら勝てるか怪しい人生だ。

 

ところがどっこい、ひきこもりなりにもネットを通じて様々な出会いと感動があるのがテクノロジー塗れの現代である。

 

さて、本ブログでは、そんな「哀愁」と「僅かな希望」の中で生きる某ひきこもり男性の、それはまた愉快でヘンテコな日々の自己申告を書き連ねていく予定だ。

 

「自身のリハビリ」が要点である一方で、"公開する"という形をとる以上は、私の拙文が悩めるひきこもり同志たちにとって、また後続の新規ひきこもり同志への細やかな激励であったり、なんらかの問題解決のきっかけとなってくれたりすれば超幸運の大万歳だろうという思惑もある。

 

終わりになるが、記念すべき初投稿である本記事のタイトル「大丈夫なのだろうか?」

について「何を?」と疑問に思われている読者の貴方様であろう。

 

「大丈夫なのだろうか?」とは、何を隠そう筆者である私の赤裸々な心境である。

というのも、勢いでブログ開設を決行したものの、ひきこもりには書くネタが無い。

何も起こらないのがデフォルトなのだから、当然も当然である。ナンテコッタ…。

 

しかしご安心いただきたい。

ひきこもりには「暇な時間」が幾らでもある。

怪文を撒き散らせるほどの「空気の読めなさ」もある。

その上近頃はCウイルス騒動で全地域「自粛ムード」の最中にあるということで

自宅活動に於いては役満も良いところだ。

 

こんなブログを発見してしまった諸君には

どうか今後の展開を末恐ろしい気持ちで見守っていただきたい。