ひきこもりの作法

一本、また一本…集めた後ろ指の数はアイドル級。悩み多き某ひきこもりによる孤軍奮闘の日々がここに。

ひきこもり不動録Vol.34「金欠に喘ぐひきこもり」

 

金欠に喘ぐひきこもり

ネットの求人情報を眺めては閉じ、眺めては閉じ……。

近頃の私の過ごし方といえば、ただひたすらにこの繰り返しです。

 

どうも皆様、「無収入の無職ひきこもり」という状況にいよいよ精神が耐えられなくなってきているらしいホロ9です。

 

ひきこもりである以上、将来的な不安が尽きないのは当然のこととして、現代は何をするにしてもとにかくお金が必要になっていますから、金欠どころか無一文の状態が続くことで、心身が拘束されているような苦しさが湧いてきております。

 

これまでは不自然に低スタミナなひきこもり某にとって、読書を楽しんだり、ネットサーフィンをしたり、テレビゲームで遊ぶような時間は数少ない「心の糧」となってくれていました。そうした時間を確保できていたお陰で、発狂したり、悲観一色の人間にならずに済んでいたと思います。「自分はお金が無くても楽しく過ごせる」という自信だってありました。

 

ところが打って変わって、そんなに有難かった「心の糧」の時間さえ、今となっては己に対する無能感、嫌悪感、そして焦燥感を駆り立てるばかりの苦役へと成り果ててしまったのです。あんまりこの感覚が強いので、「これはむしろ社会復帰から遠退いてしまうじゃないか」と我が身のことながらクレームの一つも入れたくなってきます。

 

もしかするとこのブログの過去投稿にも書いていたかも知れませんが、以前、私は勇気を振り絞って少しだけアルバイトをした経験があります。それはもう、死ぬんじゃないかというくらい奮い立って臨んだものでした。そして思えば、その時も今と同じような「居ても立っても居られない」という心境があったのです。つまり、こうした状態に陥っていることの真実は、「私に新しい行動を起こさせるために、無意識が背中を押してくれている」ということなのでしょう。他の言い方をすれば「充電完了の合図」といったものかも知れません。

 

それにしても、これを味わっている当人としてはなかなか酷なものがあります。寝ても覚めても一刻も気が休まらない心地ですし、こうして文章を打つ間にさえ、じわじわと己の精神が削れ、窶れていっているようにさえ感じるのです。ついでに寝ている最中の夢の中でさえ、最近は人に責められたり、焦燥感に煮詰まっているものばかりを視るようになってしまいました。

 

誰もが知る諺の中に「貧すれば鈍する」というものがありますが、この機に改めて調べてみますと、「金銭的に貧しくなると頭の働きまで鈍ってしまう」という意味でした。なんと痛烈な指摘でしょうか。これだから昔の人の言葉には耳を傾ける価値があります。そしてまさに今、諺にある通りの現象を我が身で痛感している真っ只中です。さて、どうしたものやら……(笑)

 

日本にはそんな痛烈な諺がある一方で、中国で最も有力な宗教である儒教の経典、論語には、小人窮すれば斯に濫す(しょうじんきゅうすればここにらんす)」という言葉が登場します。これは「器量が小さい人間は行き詰れば善悪の見境を失い、どんな悪い事でもやってしまう」という意味だそうです。これもまた痛烈な言葉でありますが、「貧すれば鈍する」と少し違うのは、濫する(乱れる)のが「小人」に限定されているところでしょうか。裏返せば、「器量が大きい人間は貧しようとも鈍しない」とも取れる言葉になっています。

 

少し前に私は、自宅近辺の大規模な工事の影響により、ひきこもりにも辛うじて残っている正気をいつも支えてくれていた、暖かな日光、そして新鮮な風を失って過ごす期間がありました。その時もかなり精神的に参っていましたが、「否、窮地こそ底力の見せ所である」と己を奮い立たせ、より積極的に散歩や外出をするなどして失った自然の癒しを埋め合わせたものです。結果的にあの期間は己に対する試練であり、そして「窮地でこそ冷静に打開策を練らねばならぬ」という単純かつ大事な気づきを与えてくれるものでもありました。ついこの間の「PCの故障」なども同じように、向き合ってみれば不幸の一枚先に大きな収穫があったのです。

 

note.com

 

つまり、今度は金欠という方面から訪れた試練であり、不幸なのだと解釈することが出来ます。そして今回もまた、その一枚先には大きな「成長」と「気付き」があることを予感されられておりますので、あくまでも冷静な思慮を忘れず、失敗さえも楽しむ気概で挑んでみようと思います。

 

思えば私は、これまで本当の金欠の苦しさを味わったことが無かったのかも知れません。日頃から人よりもお金を使わないというのもありましたし、お金が無くなりそうな時であっても、何か持ち物を売って工面していたからです。それが今度はいよいよ財布の中身も、売るような持ち物も空になった本当の金欠、つまり貧乏を真正面から喰らいましたので、これがどれだけ辛いかしっかりと向き合い、考えておく必要がありそうです。

 

貧乏の辛さが分かってこそ、貧乏で苦しむ他人に共感できるようになるでしょうし、他人の貧乏を治してやろうという情熱も湧いてくるものではないでしょうか。そういえば私が「健康」について発信するようになったのも、元はと言えば自分が不健康で死ぬほどの苦しみを味わったからでした(笑)

 

今の自分には何が出来るのか?

そして、何をやるべきなのか?

改めて、この問題と冷静に向き合ってみようと思います。

たとえ貯金が0円であっても、1000円分くらいの思慮深さはいつも忘れずに(笑)